村上春樹のおすすめ長編作品をランキング形式で7作紹介するよ。
正直なところ、読むのはこの7作だけでOK!
雰囲気がわかりやすいように「書き出し」部分も掲載しましたので、未読の方は参考にどうぞ。
村上春樹のおすすめ長編作品ベスト7
7位 風の歌を聴け
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。
しかし、それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。[出展:村上春樹著「風の歌を聴け」講談社文庫]
デビュー作。
大学生の日常が描かれています。
もちろん、僕はリアルタイムで読んでませんし、読んだのは発売から20年遅れです。
でも、控えめに言ってすごくぶったまげたんですよ、こんな日本文学があるんだって。
演歌とかヤンキーとかっていう日本のダサい要素が一切出てこないんですよね。
会話もユーモアがあって洒落てるし。
村上春樹を読んだことない人は、やっぱりコレから行くべきだと思う。
6位 海辺のカフカ
「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」とカラスと呼ばれる少年は言う。いくぶんのっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋肉が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっさいには隅から隅まで目覚めている。いつもと同じように。
僕はうなずく。
「どれくらい?」
もう一度頭の中で数字を確認してから、僕は答える。「現金が40万ほど。そのほかにカードで出せる銀行預金も少し。もちろんじゅうぶんとは言えないけど、とりあえずはなんとかなるんじゃないかな」
「まあ悪くない」とカラスと呼ばれる少年は言う。「とりあえずはね」
僕はうなずく。[出展:村上春樹著「海辺のカフカ」新潮文庫]
後期の代表作。
十代の少年が家出するところから物語はスタートします。
正直言うと、後期のものはこれを読んどけばOK。
『1Q84』とか『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』とか、読む価値もありません。
村上春樹に対する違和感が決定的になったのって、この『海辺のカフカ』なんですよ。
- 主人公の十代の少年が書けてない(まるで三十代のオッサン)
- やたら説教くさい
- また同じネタ
理由はこんな感じですかね。
まあ、参考までに読んでおけばいいんじゃない?って意味で、チョイスしました。
5位 羊をめぐる冒険
新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた。彼は電話口で朝刊の一段記事をゆっくりと読み上げた。平凡な記事だ。大学を出たばかりの駆けだしの記者が練習のために書かされたような文章だった。
何月何日、どこかの街角で、誰かの運転するトラックが誰かを轢いた。誰かは業務上過失致死の疑いで取り調べ中。
雑誌の扉に載っている短い詩のようにも聞こえる。
「葬式はどこでやるんだろう?」と僕は訊ねてみた。
「さあ、わからないな」と彼は言った。「だいいち、あの子に家なんてあったのかな?」
もちろん彼女にも家はあった。[出展:村上春樹著「羊をめぐる冒険」講談社文庫]
不思議な力を持つ羊を探す話なんですが、物語は、最後の最後で急カーブを曲がり、見事に大破。
現実的な話に、非現実的なオチがつくんです。
「え、そっち行くの?」みたいな笑。
要は、「そっち側」ってものが明確になったのがこの作品。
でも、この頃は「そっち側」がどこかSF的でよかったんですよ。
4位 ダンス・ダンス・ダンス
よくいるかホテルの夢を見る。
夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。夢は明らかにそういう継続性を提示している。夢の中ではいるかホテルの形は歪められている。とても細長いのだ。あまりに細長いので、それはホテルというよりは屋根のついた長い橋みたいにみえる。その橋は太古から宇宙の終焉まで細長く延びている。そして僕はそこに含まれている。そこでは誰かが涙を流している。僕のために涙を流しているのだ。
ホテルそのものが僕を含んでいる。僕はその鼓動や温もりをはっきりと感じることができる。僕は、夢の中では、そのホテルの一部である。
そういう夢だ。[出展:村上春樹著「ダンス・ダンス・ダンス」講談社文庫]
『羊をめぐる冒険』の続編。
『羊をめぐる冒険』で出会った女の子を探す話。
語彙力が増えて、ページ数も増えたのがこのあたりでしょうか。
僕は、この作品が結構好きなんです。
どのへんがと聞かれると難しいんですが、あえて一言で答えるとすれば不完全なところ?
なんか、完成してないんですよね、この作品。
書き出し文も村上春樹にしては珍しくリズムが悪いです。
3位 ノルウェイの森
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。[出展:村上春樹著「ノルウェイの森」講談社文庫]
早稲田大学に入学した「僕」の話。
村上春樹と言えばコレって人も多いはず。
早稲田周辺の空気を文章で切り取ることができていて、本当に見事。
物語としては60年代の話ですが、都内の大学に通ったことのある人はみんな共感できる内容だと思う。
2位 ねじまき鳥クロニクル
台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。
電話のベルが聞こえたとき、無視しようかとも思った。スパゲティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバドは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ち上げようとしていたのだ。しかしやはり僕はガスの火を弱め、居間に行って受話器をとった。新しい仕事の口のことで知人から電話がかかってきたのかもしれないと思ったからだ。[出展:村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル」新潮文庫]
失業して、嫁に逃げられたアラサー男にまつわる不思議なクロニクル。
語彙力がとても増え、文体的にもここで頂点を迎える感じ。
でも、ここで燃え尽きてしまった……。
井戸の中で失われてしまったのは、村上春樹自身じゃないかと。
1位 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
エレベーターはきわめて緩慢な速度で上昇をつづけていた。おそらくエレベーターは上昇していたのだろうと私は思う。しかし正確なところはわからない。あまりにも速度が遅いせいで、方向の感覚というものが消滅してしまったのだ。あるいはそれは下降していたのかもしれないし、あるいはそれは何もしていなかったのかもしれない。ただ前後の状況を考えあわせてみて、エレベーターは上昇しているはずだと私が便宜的に決めただけの話である。ただの推測だ。根拠というほどのものはひとかけらもない。十二階上って三階下り、地球を一周して戻ってきたのかもしれない。それはわからない。
そのエレベーターは私のアパートについている進化した井戸つるべのような安手で直截的なエレベーターとは何から何まで違っていた。あまりに何から何まで違っていたので、とてもそれらが同一の目的のために作られた同一の機構を持つ同一の名を冠せられた機械装置だとは思えないくらいだった。そのふたつのエレベーターはおよそ考えられうる限りの長い距離によって存在を遠く隔てられていたのだ。[出展:村上春樹著「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」新潮文庫]
みんなが好きな村上春樹。
「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの世界が交錯します。
純文学とSFの中間くらい。
スゴいのは、世界観。
ここまでの世界観を確立した小説ってちょっと他に見当たらない。
ハインライン、ディック、オーウェルとかのSFの大家でも作品の中には矛盾とか破綻が少なからず出てしまうんです。
でも、この『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は世界観的には破綻がない。
海外ドラマの『Game Of Thrones』なんかも、世界観的に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の影響下にある感じなので、依然としてこの作品が力を持っていることがわかります。
あとがき
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ノルウェイの森』あたりの世界観や文体の出来が良すぎて、みんなの期待値が上がっちゃったんですよね。
もちろん、僕もその一人なわけで。
でも僕は、村上春樹がいなかったら世界の文学はもっとつまらないものになっていたと思うんです。だから今回、今更ながらわざわざ紹介してみました。
読んでない人は是非読んでみて下さい。